以前の記事で、USBメモリが「挿すだけ」で使えるのはUSB Mass Storage Class(MSC)という標準のおかげだと説明しました。そして、RAIDケースをルーターに繋いでも動かない技術的な理由についても解説しました。
それでもまだ、「RAIDコントローラーが裏で頑張ってミラーリングとかして、外からはただのUSBメモリに見せかければいいだけじゃないの?」という疑問が残るかもしれません。まさにその通り、そこが今回のブログのテーマです。
なぜ、そんな「賢い」RAIDケースが作られていないのか? 技術的な視点から、その理由を深く掘り下げてみましょう。
1. 「MSCとして振る舞う」ことの技術的制約
RAIDコントローラーが「私は単なるUSB MSCデバイスです」と嘘をついて、内部でRAID処理を行うことは、技術的には不可能ではありません。しかし、そこには非常に大きな制約が伴います。
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MSCは「原始的なI/O」しか想定していない: USB MSCは、基本的なデータブロックの読み書きコマンド(「このアドレスからこれだけのデータを読み出して」「このアドレスにこのデータを書き込んで」)しか提供していません。RAID
コントローラーが、この原始的なインターフェースだけで、RAIDの状態管理、エラー検出、ディスク故障時の再構築(リビルド)といった複雑な処理をホスト(PCなど)に伝えることは非常に困難です。 例えば、RAID 1(ミラーリング)で片方のディスクが故障した場合、MSCの標準コマンドでは、ホストは「ディスクが壊れた」という情報を直接受け取ることができません。RAIDコントローラーが内部的に頑張ってデータを読んだり、書き込んだりするだけになり、ホスト側はエラー発生に気づけないか、原因不明の読み書きエラーとして認識されるだけになります。 -
パフォーマンス最適化の放棄: 高度なRAIDコントローラーは、より高速なデータ転送や効率的なディスク管理のために、MSCの基本的なプロトコルを超えた「独自の拡張コマンド」や「より複雑な通信プロトコル」を使用することがあります。これにより、OS(PC)側は専用のドライバーを介して、RAIDコントローラーの真の性能や状態をフルに活用できるのです。 もしRAIDコントローラーがMSCに完全に準拠して振る舞うと、これらの最適化された通信手段を放棄することになり、RAID本来の高性能や高信頼性が発揮できなくなってしまいます。
2. 「汎用性」と「専用性」のトレードオフ
製品開発において、常に考慮されるのが「汎用性」と「専用性」のバランスです。
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ルーターのUSBポートは「汎用性」を追求: Atermルーターのような機器のUSBポートは、最大限の互換性を目指して作られています。つまり、一番普及しているシンプルなUSBメモリやHDDが「挿すだけ」で動くことを最優先します。そのため、複雑なデバイスを認識するための高度なドライバーやプロトコルを実装するコストはかけません。ファームウェアの容量や処理能力にも限りがあるため、どうしてもシンプルな機能に絞り込まれるのです。
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RAIDケースは「専用性」を追求: RAIDケースは、本来、PCやNAS(Network Attached Storage)といった、より高性能で汎用的なOSを持つホスト機器との接続を前提に設計されています。これらのホストは、RAIDコントローラーと密に連携し、RAIDの全機能(冗長性、パフォーマンス、管理、状態監視など)を引き出すことができます。 RAIDコントローラー側も、その複雑な機能と性能を最大限に引き出すために、MSCの単純な枠組みに収まりきらない高度な通信を行うことを選択します。
3. コストと市場ニーズ
「シンプルなMSCとして振る舞えるRAIDコントローラー」を作ることは、技術的には不可能ではないかもしれませんが、それを実現するためのコストと、それに見合う市場ニーズがありません。
- 開発コストの増加: MSCとして振る舞いつつ、内部でRAIDを適切に管理し、かつ限定されたMSCコマンドの中でエラーや状態を「なんとか」ホストに伝えるような複雑なコントローラーは、開発が非常に困難でコストがかかります。
- 需要の少なさ: ルーターのUSBポートのような限定的な環境でRAIDを使いたいというニーズは、全体から見れば非常に小さいです。もしRAIDが必要なら、多くのユーザーは最初からNASや、PCに接続する本格的なRAIDケースを選択します。わざわざコストをかけて、機能が限定されるようなRAIDケースを作るインセンティブがないのです。
まとめ:賢さとシンプルさのすれ違い
おっしゃる通り、RAIDコントローラーは賢く、複数のディスクをまとめてくれます。しかし、その「賢さ」は、ホスト側も同等かそれ以上の「賢さ」(=高度なUSBドライバーやOSの機能)を持っていることを前提としています。
ルーターのようなシンプルなUSBホストコントローラーは、この「賢さ」を持ち合わせていません。RAIDコントローラーが、その複雑な内部処理を隠して「私はごく普通のUSBメモリです」と自己紹介しようとしても、その自己紹介がMSCの単純な範囲を超えてしまう、あるいはMSCの単純な枠組みではRAIDの持つ真の価値(エラー検知、再構築など)を伝えきれないのです。
つまり、RAIDは「高度な機能を高度な方法で」提供することに特化しており、ルーターのUSBポートは「基本的な機能を基本的な方法で」提供することに特化しているため、両者の間で「すれ違い」が生じてしまう、というのが技術的な理由です。