現代の自動車開発や産業機器の分野で、高速・大容量通信のニーズが高まる中、CAN FD (Controller Area Network with Flexible Data-Rate) は欠かせない技術となっています。
しかし、CAN FDを扱う上で、しばしば混乱を招くのが「ボーレート (Nominal Bit Rate)」と「データレート (Data Bit Rate)」という2つの速度設定です。
この2つは、単に速度が違うだけでなく、「通信のどの部分に適用されるか」という点で決定的な違いがあります。本記事では、この二段構えの速度設定が、CAN FDの性能をどのように飛躍させているのかを解説します。
1. 🚦 ボーレート (Nominal Bit Rate) の役割:調停と同期の確保
CAN FDにおけるボーレートは、従来のCAN(Classical CAN)と同じように機能する、ネットワークの基盤となる通信速度です。
適用される区間:アービトレーション・フェーズ
ボーレートが適用されるのは、CANフレームの中でも特に重要な以下の部分です。
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SOF (Start Of Frame)
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ID (Identifier, 識別子)
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制御フィールドの大部分
この区間は「アービトレーション・フェーズ(調停区間)」と呼ばれます。
速度が遅い理由:全ノードの同期が必須
CANバスの最大の特徴は、複数のノード(ECU)が同時に送信を試みた際に、IDの値を比較して優先順位の低いノードが送信を諦める「調停(アービトレーション)」の仕組みです。
この調停をネットワーク上の全ノードが確実に行うためには、信号の遅延(伝播遅延)を考慮し、すべてのノードが信号を認識し終えるまで十分な時間を確保する必要があります。このため、ボーレートは1 Mbit/s(1秒間に100万ビット) 以下に制限されるのが一般的です。
👉 ボーレートは、ネットワークの安定性と公平な優先度決定のために使われる、基本速度であると覚えておきましょう。
2. 🚀 データレート (Data Bit Rate) の役割:高速データ転送の実現
CAN FDが従来のCANと一線を画すのが、このデータレートです。
適用される区間:データ・フェーズ
データレートが適用されるのは、CANフレームの中で最もビット数が多い以下の部分です。
速度が速い理由:送信ノードが一つだけ
アービトレーション・フェーズが終了した時点で、バス上で送信権を獲得しているノードは一つだけになります。
つまり、データの転送中には調停を行う必要がありません。この単独送信状態を利用し、信号の伝播遅延の影響を最小限に抑える技術(TDC: 送信遅延補償など)と組み合わせることで、通信速度を飛躍的に向上させることができます。
データレートは、2 Mbit/s、4 Mbit/s、あるいはそれ以上(最大8 Mbit/s程度) の高速通信を実現し、CAN FDの「Flexible Data-Rate(柔軟なデータレート)」の名の通り、データ転送の効率を大幅に向上させます。
👉 データレートは、送信権獲得後にペイロードを高速で送り届けるために使われる、可変速度であると覚えておきましょう。
🔑 速度切り替えの仕組み:BRSビット
この2つの速度を切り替えるカギとなるのが、制御フィールドにある BRS (Bit Rate Switch) ビットです。
CAN FDフレームでは、BRSビットが劣性(リセッシブ)に設定されている場合、そのフレームはボーレートで調停を行った後、データ・フェーズの開始時にデータレートへと速度を切り替えます。
転送が終わり、CRCフィールドを通過すると、再びボーレートに戻ってACK(肯定応答)やEOF(フレームの終わり)が送信されます。
📝 まとめ:比較表
| 特徴 | ボーレート (Nominal Bit Rate) | データレート (Data Bit Rate) |
| 適用区間 | フレームの前半(調停区間) | フレームの後半(データ区間) |
| 主な役割 | 調停と同期の確保 | 実データの高速転送 |
| 最大速度 | 従来のCANと同様に1 Mbit/sまで | 1 Mbit/sを超える速度(例: 5 Mbit/s) |
| 速度切替 | 基本速度として固定 | BRSビットで高速化に切り替え |
CAN FDは、この「安全な低速で調停し、安全が確保されたら高速でデータを送る」という賢い二段構えの仕組みにより、従来のCANの安定性を保ちつつ、電気自動車や自動運転技術が求める大容量・高速通信を実現しているのです。